
金曜日、まつもと市民芸術館へコンテンポラリー・ダンスカンパニー、レニ・バッソの公演を観に行ってきた。
大学時代の友人、兼古くんがこのダンスカンパニーの映像のプロデュース、というか監督をずっとやっている。世界をぐるぐる廻っていて、彼は結構忙しくしている。
もう全くと言っていいほど大学時代の付き合いも作家活動もしていない私に、メジャーになっても優しい兼古くんは、連絡をしてくれる。…でなければコンテンポラリー・ダンスなるものとは一生、縁がなかった(というより知らなかった)かもしれない。優しい友人に感謝である。
舞台は去年初めて観にいったが、初めてというせいもあってか結構良い意味でのショックを受けた。何もない舞台で踊るダンサーの体の信じられないような動きと、壁に床に映し出された兼古くんの映像が見事だった。
今年は舞台の上に3箇所、四角く組んだついたて(というかパネル)が置いてありいったいどうやって使うのだろう…と考えてしまったが、中盤まではそのパネルを動かすことなくダンサーが踊り、映像も含めて全体的にストイックな作りに思えた。きっとあえてそうしたのだろうが、派手で目を引く、と言えば去年のほうがそうだったかもしれない。
わざわざダンサーの自由度を奪うような規制のある演出で、かなり作りこんであったのだろう。見た目が地味なほうが奥が深い、ということもある。
私には今年の演目は難しかった…。
しかし途中、ついたての中で男女二人のダンサーが踊るシーン、あのシーンには思わず目が釘付けになってしまった。何故かと言うと、自分の子供がしゃべるようになる前、2、3歳頃のしぐさ、それを思い出したからだ。
子持ちのオバサンならではの受け取り方でレニ・バッソには申し訳ないが、まだしゃべれない子供が手を振り足を踏みつけ、顔をゆがめたりまた大きく口を開けて笑ったり、のけぞったりうずくまったりして何かを伝えようとするあのしぐさ…そっくりどころではない、まさにあの時の息子、娘その姿を見たように思った。
翌日、今年は時間のとれた兼古くんとお昼ご飯を食べながら、
「子供ってさあ、まだしゃべれない時ってあんな感じで何か言おうとするんだよねぇ。本当にあんな感じで」と話していたら
「あれ、台本では会話のシーン、てなってるんですよ。」
ううむ、なるほど。
私はついたての中で踊る二人を見て、実は泣いていたのだった。
あの時私は子供たちの、全身全霊の「話」をはたして聞き、そして理解しようとしていたのだろうか…。
後悔先に立たず。普段アート・シーンとはかけ離れた生活をしている私は、レニ・バッソの舞台を観て、一人昔の感傷に浸っていたのであった。