
久しぶりに牛伏川を歩く。前に来たのは夏まだ暑いときだったろうか。
秋の冷たい雨のあとで、地面はしっとりと濡れている。

オトコヨウゾメの赤い実が晩秋の雫をまとってきらりと光っている。
牛伏川は元禄の昔から有数の暴れ川で、大崩落を起した後の山からしょっちゅう土砂が崩れて川に流出し、川下の田畑が埋もれてしまうということを繰り返してきたそうだ。
その牛伏川の土砂流出が、遠い新潟の信濃川水害の一因であるとされ(!)、明治に入ってから国の主導で牛伏川改修工事が行われた。
…なるほど昔の川は、山から海まですべて繋がっていたんだな。
そんなわけで300年ちかくに渡って山崩れを繰り返してきたこの土地は、明治のころまでは木も生えない裸地で、荒涼とした風景だったらしい。
川の砂防工事は「石堰堤工(石を使った砂防ダム)」「木工沈床(丸太と石材を組合わせて河床を保護する)」「護岸石積工(川岸に石を積み、水の激しい流れによって山肌が崩壊するのを防ぐ)」などが行われ、それと共に「種苗工」として荒地に植苗もされた。
たぶんそのときに、治山・法面緑化・防風林に最適と言われ、安価でよく増え成長も早いハリエンジュ(ニセアカシア)が大量にこの山にも導入されたに違いない。…そうしてこの場所はハリエンジュの森となった。
しかし、ご存知のとおり今やハリエンジュは「要注意外来生物」リストに名前が挙げられ、地域によっては伐採が進められていて、蜜源としてこの木を利用していた養蜂家たちは生活の危機に直面している。

そのためかどうか(たぶんそうなんだろう)、実は倒伏しやすく治山には向かなかった…と言うハリエンジュを在来の雑木に転換するべく、平成8年度から「林相転換事業」なるものが行われ、ハリエンジュの代わりにモミジ、ナラ、クリそしてカンボクやらウツギやらの雑木がそこここに見られるようになった。

『第二号』とされているこの「根止(ねどめ)石積堰堤」は幅約8m、高さ約7m。そう大きなものではない。
大きさのばらばらな石を組み合わせ、コンクリートを一切使わない「空石積(からいしづみ)」だ。

ここからさらに上流にも数箇所、このような堰堤がある。
コンクリートを使わない石堰堤で有名なものに、やはり明治時代に作られた大津市の石積み堰堤があるが、これは切石を布積みした石積みの中心にはなんと、タタキの技法を利用した(であろう)土が堤防の芯として入っているのだ。…でもどうやってタタキ締めたんだろう??川の流れの中で…。不思議だ。
この牛伏川の堰堤も大津市の堰堤と同じく、かれこれ100年が経過しているにもかかわらず、その姿を保ちつついまだに目的を果たしている。
もちろん改修や保全工事は行われているのだろうが、コンクリートの寿命を考えたとき、この堰堤が機能している「100年」という時間は十二分に長いように思う。

川沿いに設けられた山道の土留めに目が行く。
三日月型に積まれた石はいつの時代のものなんだろう、初めて根止堰堤工事が行われた明治か、それとも大正だろうか。
溜まった土砂の浚渫もできないまま、次々と作られる現在のコンクリートのダム。
この工事をした100年前の人たちは、未来をどんなふうに見つめていたんだろう。
現代の人間は、この目の前の「過去」をどんな風に受け止めればいいんだろう。

足もとに僅かに残された石畳を踏みしめながら、ぼんやりとそんなことを考えた。