
長野県には海が無い。
海が無いから、塩も生産できない…稀に「山塩」の取れる大鹿村の例もあるけれど、その生産量は海の比ではない。
だから縄文の昔から、塩は遠い海から信州へと運ばれてきた。
新潟県の糸魚川から松本、そして塩尻(塩の最終到達地点)へと運ばれた塩を『北塩』、一方静岡県の相良から県境の青崩峠、大鹿、諏訪を経て塩尻へ運ばれた塩は『南塩』と呼ばれた。そしてこの道を『塩の道』と言う。
諏訪地方は古くから猟・農具や漁具に使われた黒曜石の産地で、信州からは海へとこの黒曜石が運ばれた。諏訪に住む農家の友人から「子供の頃は畑を掘ると黒曜石の矢尻がいっぺぇ出たんだよな」な~んて言う話を聞くと、遠い縄文時代を身近に感じたものだった。

その信州産の黒曜石と『南塩』が縄文の昔から行きかった古道、遠州と信州を結ぶ青崩峠。
秋葉街道の中でも難所中の難所と言われ、現在も国道であるにもかかわらず崩落が激しく車道の建設ができずに、人しか歩けない峠道である。

この名前に惹かれていつか歩いてみたいと思ったのは、もう随分前のこと。
老父と遠山の話をするうち、実は父も「青崩峠は生きているうちに一度は行ってみたかった」ことがわかり、御年を考慮するともう次の機会はないだろうと、二人で峠を歩いてみることにしたのだ。

昨夜宿泊したのは八重河内川に沿って佇む、秋葉街道の老舗の旅籠『島畑』さん。早朝に起床して、そそくさと車に乗り込む。

朝が一番朝腰の調子が良い父のため、朝飯前の峠歩きである。

山崎さんに教えていただいた工事車両の転回場にMT2シーターの愛車を止め、いよいよ峠へ。

この侘びた峠の名前に対して抱いていた私の想像を覆すように、峠の登り口は偽木できれいに整備されている。

随分歩きやすい遊歩道ではないですか…と思いきや、

程なくして大小さまざまな落石が遊歩道に現れた。

中には板を破って大穴を空けているものも…思わず山肌を見上げる。


もしかしたらこの石灰の山に緑化事業で植林したのかもしれない歩道沿いの木々は、山ではただでさえ曲がる根元が土砂に押され、完全に斜めに…いや、ほぼ真横になっているものもあった(大汗)。

峠道の途中の青崩神社の鳥居には根から倒れた木が架かったまま、共に苔むしている。

そして石段を登った斜面に建つ青崩神社も、

背後の木が神社に向かって根ごと倒れ、しかしその太い木の幹は真横に聳える松の木に支えられ、何とか落ち着いて??いる。
この松がここになかったら、倒伏した木は神社の屋根を直撃していただろう。どうか地震が来ませんように…とビクビクものである。

深々と頭を下げて参拝する父。私も真剣な心持ちで道中の無事を願って手を合わせた。

膝が悪く、無理をすると歩けなくなったり、血圧が高く薬を飲んでいるくせに、せっかちで「ボチボチ」とか「ノンビリ」と言う言葉が辞書に無い父は、足場の悪い道を私よりも早足で、杖を突きながらさっさと登ってゆく。

写真を撮りながら急ぎ足で父を追いかける私。
整備された道も途中から、落ちてきた石で板が割れたり、押し流されて無くなったりし始めた。


せっかく信州の真ん中からはるばるその最南端の地まで来て、しかも中央構造線の真上を歩いているのだし、断層の『露頭』なんぞを探してみたいなんて思っている私の心を知ってか知らずか、「早く行くぞ、オイなにしてるんだ」と相変わらずせっかちな父である。

途中、『あのあたりが露頭なのでは…』と砂防堰堤のほうへ回り込む殆ど朽ちた足場を辿ろうと浮気心を出してみるものの、また老父に呼び戻されあえなく露頭探しは断念することに…し、仕方ない…。


「青崩れ峠」と言う名のとおりに、青白く細かく崩れ落ちたばかりの石灰質の山肌に沿って歩くと、砂防堰堤で止めても止めても傾れ落ちる『動き続ける山』の中に私は立っているのだ、という実感が湧いてきて、なにやらそら恐ろしくなってくる。

まるでセメントのような青灰色の山のザラ石に、思わず崩壊してゆくコンクリート堰堤をイメージしてしまう
(そして、そのイメージが嫌いではない)私。

遠くに見える反対側の山肌から、鹿の鳴き声が何度も何度も聞こえてくる。

人気もない山の中で、その声は深い谷に大きくこだまして、まるで迷子になって足場を失い悲しげに親を呼ぶ子供のそれのようだ。

足を止めることなく歩く父の気持ちもわからないでもない…そうだ、あまり離れずさっさと歩かなければ。

車を置いた治山工事の工事車両の転回場から峠の頂上までは30分ほどと聞いていたので、もう少しで峠だろう。
…が、ここでやはりせっかちな父が
「いかん、血圧が上った。俺はここで待ってるぞ」ってホラ言わんこっちゃ無い(何も言ってないけど)、ゆっくり登ってくれば良いものを。

こんな携帯も通じない山奥で爺さんを担いで下りたりなんかしたら私もくたばってしまう。仕方ないね、残念だけど、じゃ私だけ失礼、と休みどころに父を残して峠の頂上へ向かい早足に登る。

空が近くなり、まっすぐな階段を上りきると峠の頂上にひょっこりと出た。

峠の国境は、崩れ落ちそうな道を登ってきた私が拍子抜けするほどさっぱりと整備され、南向きの立派な丸太のテラスまで作られている。

テラスの上から静岡県の山々を見渡す。Hello, Sizuoka!
う~ん…感無量。
あの山々の向こうには、海が広がっているんだな。数千年前の人間が、この同じ道を踏んであの山の向こうから塩を運んできた…その時歩いた人が見た景色は、木々は、今とどう違っていたのだろう。

明治時代の製紙用材のための伐採、そして戦中戦後の軍用目的による森林伐採が始まるまで、遠山地方からこの静岡・水窪にかけて古く豊かな森林が広がっていた。
天を衝くばかりの様々な樹種の巨木たちが生い茂っていたに違いない。

その頃の景色を、この深い山々を見ていながらも私は想像することができない。
・・・おっとそうだ、父を待たせているんだった。

あまり感慨に浸っているわけに行かない、と急ぎ写真を撮って戻ろうとするが、この立派なテラスからは長野県側の山が見渡せないではないか。

そこで熊伏山への登山道入り口を少し登り、クマザサにつかまりながら狭い道の脇に逸れて足場の悪い崖っぷちに立つ。

おお、見える見える。深く切れ込んだ谷と、折重なる山々。
遠い遠い昔、ここは海だった。
地球を生きものと捉えるなら、父や私が生きてきた長い時間ですら、地球のまばたきほどの時間ですらないのだろう。
地球は呼吸をしていて、体の中を燃え滾らせ、その皮は動き続け、圧縮され押し上げられひび割れ、その跡を私たちは目にして驚いたり感心したり写真に撮ったりしている。

そしてこの瞬間も地球は生きていて、この地面の下の下には血のような真っ赤な流れが渦を巻いているのだ。

…そう考えてしまったら、こんな狭い足場に立ちひょろひょろの木にしがみついている自分が愚か者に思えてきて、足が震えた。
後ろを振り返りながらそっと後ずさりして登山道に降りる。朝日に照らされながら坂道を登ってかいた汗に代わって出てきた冷や汗をぬぐいながら、テラスへ戻った。

ホッとすると同時に空腹を覚えて時計を見ると、時間はちょうど8時になるところ。
遅めにとお願いした朝ごはんの時間に間に合いそうだ。

峠から見た遠山谷は視界を覆いつくす山、また山だった。
それは私には、人間が支配しきれない場所にも見えた。

地球の皮を覆う山、そして川…地球がちょっとくしゃみをしただけで、それはひび割れ、そして溢れる。
そんな地球のリズムに同調して生死を繰り返す、木々と森の生きものたち。

きっと私たち人間は、地球の皮を永遠に繕い続けるのだろう。

中央構造線上に聳えるこの山々は、今も動き続けている。