普通の一日  p6

人の情けが身に沁みる

ここのところ、色々大変なことが続いた。
珍しくずっと元気で今年は皆勤賞かと思っていた子供が、ひどい咳で学校を長く休んだり、他にもプライベートでしんどいことが多くて、そんなこんなで私もテンションが下がりまくってやっぱり風邪をひいてしまったらしい。
子供の風邪は峠を越えたようだが、今度は私だ。咳がひどい。…繰り返す子供の通院でもう医者は嫌になっちゃって、仕事はしなくちゃいけないし、自分は行かずに放ってある。
そんな時、年長のお友達、というか師匠というかお知り合いというか、作家のIさんが「お仕事はお忙しいですか。ちょっと寄らせていただこうと思いますが、お子さんの風邪はなおりましたか」とメールをくださった。
「それが今度は私が咳がひどくて…」と返信すると「私は風邪に弱いのでお邪魔はしません(この言い回しはウケた)、では何か元気の出るものを玄関に置いておきましょう」と返事が来た。
あいにく、具合が悪くても、取引先に呼ばれればカラダが動く限りは出て行かないわけには行かず、私はこのとき外出中だった。「ありがとうございます、でもどうぞ、お気遣い無く」と返信して帰ってみると玄関に西友の袋がふたつ。…オレンジ、おひたしやサラダ、アジフライなどのおそうざい、なんとなんと寿司!そしてチンゲンサイ、春菊など青菜も入っている。
このIさん、男性だが、長いことお一人でお子さんを二人育てられただけあって、この青菜という選択がさすがである。具合が悪いと買い物も面倒で、青菜系が無くて買いに行かなければと思っていたところだったのでとても嬉しい。ケチケチしてふだんは買わないオレンジも大袋で…嬉しい。
寿司は子供が大喜びだろう。今晩夕飯の支度をしなくて済みそうだ。
こんな時は人の情けが本当に身に沁みる…一回夕飯の支度をしないで済むだけで、どんなに休まるだろう。やはり、苦労してらっしゃる(のではないかと思われる)Iさんならではのお心遣いで、涙が出るほどありがたい私だった。


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ミニ同級会

友人の一人がすごい昇進をしたので、今日はその「お祝い」という理由で20年振りの面子も集まり飲み会だ。
会場は松本駅前の小竹亭で、友人の一人Sくんの行きつけ(?)の店だって。彼は極真カラテをやっているのだが、どうやらそのつながりらしい。
当初は女は私ともう一人、悪友Cが来る予定だったのだが彼女の会社の新年会と重なり紅一点の私!…しかし皆ケッコンしてたりリコンしてても彼女がいたりなので、明るくそして健全に飲む。

私が高校のころは、目立つ男子はリーゼントに革ジャン(私服だった)、女子は聖子ちゃんカットにJJスタイル(もしかして皆死語になってて通じないかも)または明菜ちゃんカットにセクシー?スタイル、ってな感じだった。
私は服装に興味のないオンナだったので、そのへんにあるものを着ていたのだが、当時母が機械編みに凝っていて、30代が着るようなセーターとかダンスができちゃうようなスカートなんかを編んで「穿け」と言うのでそんなかっこうをしていた(さすがに社交ダンススカートは平日はやめといたが)。
…そのせいか「あのころのカミジマさんって大人っぽくって、なんかどっか違うっていうか近寄りがたいっていうか…」と皆から言われ、(それは褒めているのか?いやカワリモノだったと言いたいのか??)と考えているうちに男たちは思い出話で盛り上がる。

集まった5人中4人は子供がいて、高校当時キレやすくコワイ男だったM君が、「いやー、子供は宝だねぇもう何者(物?)にも変えがたいよ」としみじみ言って携帯の待ち受け画面の二人の子供+自分の写真を見せたりするのが面白い。
いやー、変われば変わるもんですね…あのころからは想像できません。でも私も待ち受け画面娘の写真だし、メール配信は息子の写真なのだ。

結局、閉店間際まで小竹亭で飲み、さらにSくんのまたまた行きつけのラーメン屋へ流れてギョーザと辛いタレをたっぷり入れてもらったラーメンでまた飲み、けっこう盛り上がったので本格的な同級会をやるじゃん、と言う話でお開きにする。

途中から無理やり参加させられた飲んでいない(車で来たので飲めない)友人に送ってもらう途中、彼が自分の家へわざわざ寄ってくれ私は何故かダンボール箱一杯のポケットティッシュをもらい、12時半には我が家の布団の中で健全に眠りについたのだった。

実家へ行っていた娘が帰ってきて、玄関のみかん箱大ダンボール一杯のポケットティッシュを発見してびっくりしていたので、やや胸がちくちくしていた私は「おみやげだよ〜ん、これで当分ティッシュ買わなくて済むね」と笑ってごまかしたのだった。
Tくん…私の「ポケットティッシュ代で大変なんだよー、ムスメ鼻が悪くてほぼ毎日耳鼻科に通院」という一言でわざわざ横田まで回ってくれてありがとう。
でもなんであんなに○○生命のティッシュ、持ってるの…?


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28年前のニックネーム


第一回松本市そば博覧会展示イラスト「そばと教育~寺子屋にて」

先の見えなかったページ物の仕事のゴールが見えてきた。
…というか、予想できるようになってきた。遥か彼方でも見えたらこっちのモンだ。
気の小さい私は、未知の仕事の場合、ゴールの目安が付かないうちは(何でもそうだが初めてみないと本当のゴールはわからない)仕事以外のことは何も手に付かない。…私の唯一の取り得は、「締め切り死守」だからだ。
ふだんイラストの仕事がほとんどの私、組モノはからっきしダメなのだ。時間がかかる。

そんな中にもかかわらず、昨日は地獄のような量の仕事をほったらかして、まっ昼間の3時から小学校の同級会に行ってきた。
急な集まりならドタキャン当然の状況だが、今回は会費制だし、行くしかあるまい。
会場は「萬来(ばんらい)」。駅前にある郷土料理の居酒屋だ(山賊焼き、馬刺しがおいしい)。
はたして今日は、このレッドゾーンを乗り越えられるだろうか。
呑んでしまったらお仕舞いなので(もう仕事なんてどうでもよくなっちゃう)、呑まないつもりで車で幹事である友人二人をひろいつつ松本駅前へ。

幹事二人と私を除いて、先生を含め今日集まる13人に会うのはは卒業以来、28年振りだ。
もうすでに店の前では、オンナの子(いやオバサンか…同じ歳だし)が一人待っていた。
「いや〜〜久しぶり〜!!」「わあ~ぜんぜん変わらないねぇ」と思わずお互い、昔のあだ名、いやニックネームで呼び合う。まあまあ、入ろう入ろう。

それにしても小学校の時のあだ名って今思うとトンでもないのが多かった。紹介したいが「センシティブなサイト」判定を食らう事間違いないので、とても、ここに書けない。
それらは今だったら小学校で問題にされて、おたよりなんか出ちゃって、話し合いなんかしちゃったりする位(深く考えれば)すごいあだ名だ。ちなみに私は名前をまんま訓読みして「ヤナコ」である。これも今はアウト判定だろう。
私の場合、当の本人は気にしていなかったらしい。…あまり記憶がないので、多分呼び名に関してそれほど嫌な思いはしていなかったと思う(インケンな私は嫌なことだったら絶対に覚えているはずなのだ)。

それはともかく。
誰なのかわからない友人もいるだろうな、いや殆どわからないんじゃ…と思っていたら、なんと女子は顔を見るなり、あだ名と同時に瞬時に誰かを思いだしたmたぶんお互いに。

瞬時にはわからなかったのは、男子だ。
もちろん「うへぇー、ぜんぜん変わらんジャン」という彼もいたのだが、「オレ、○○」と言われるまで殆どの男子が誰なんだかわからなかった。
変わるのは女のほうだと思っていたが、逆とは、…はて。
けれど話しているうちに、そしてお開きになって外で立ち話をしている時に「うわ〜男子も昔のまんまじゃん」と思うように。
あ、そういえばこういう表情をしたっけ。あのころもこんな風にしゃべってたっけ。こんなふうにただ立っていても落ち着きがない(失礼)ようなヤツだったっけ…
思い出すしぐさや顔つきがそのまんまなのだ。

まるで小学校のアルバムから抜け出した同級生としゃべっているような、タイムスリップしたような不思議な感覚。
うん、「人間は変わらない」。
少し言い換えれば、小学校の高学年の時にはもう、その人となりができあがっている(というか、見えている)のかもしれない。
そんなことはないでしょう…と思っていた私は昨日を境に考えを変えた。

私よりアタマ二つも小さかった男の子が、見上げるほど背が高くなっていても、社会的に地位ができていても、ちっちゃかった女の子がたくましいお母さんになって子供を何人産んでいても、あのころのままのコドモの姿がしっかり見えているんだもの。
私だってきっと、そうに違いない。

…と後ろ髪を思いっきり引かれながら一次会でさよならし、家に戻ってパソコンの前でヤケビールを呑みつつ仕事を広げて思うことは、
「ウチのムスメも時すでに遅しか…」これである。
もうじき5年生になる娘だが、この新しい私の考えでは「もうほとんどできあがりつつある」ということになる。

そうか、キミはこのまま行くか。そうだろうな…大人になったお前が想像できてなんだか笑ってしまうよ…。
てまだ小学校卒業もしてないんだし。
アホなこと考えてないで、仕事しよ。

…でもあまりの眠さとヤケビールの酔いも手伝って、その後結局2時過ぎにバタンキューしてしまい、今日は朝からフル回転でさすがにグロッキー…。
小学校時代に対してはネガティブな感情もある私、最初は緊張もしたし短い時間だったけれど、それでも楽しい同級会だった。


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兼古くんとレニ・バッソ

金曜日、まつもと市民芸術館へコンテンポラリー・ダンスカンパニー、レニ・バッソの公演を観に行ってきた。

大学時代の友人、兼古くんがこのダンスカンパニーの映像のプロデュース、というか監督をずっとやっている。世界をぐるぐる廻っていて、彼は結構忙しくしている。
もう全くと言っていいほど大学時代の付き合いも作家活動もしていない私に、メジャーになっても優しい兼古くんは、連絡をしてくれる。…でなければコンテンポラリー・ダンスなるものとは一生、縁がなかった(というより知らなかった)かもしれない。優しい友人に感謝である。

舞台は去年初めて観にいったが、初めてというせいもあってか結構良い意味でのショックを受けた。何もない舞台で踊るダンサーの体の信じられないような動きと、壁に床に映し出された兼古くんの映像が見事だった。

今年は舞台の上に3箇所、四角く組んだついたて(というかパネル)が置いてありいったいどうやって使うのだろう…と考えてしまったが、中盤まではそのパネルを動かすことなくダンサーが踊り、映像も含めて全体的にストイックな作りに思えた。きっとあえてそうしたのだろうが、派手で目を引く、と言えば去年のほうがそうだったかもしれない。
わざわざダンサーの自由度を奪うような規制のある演出で、かなり作りこんであったのだろう。見た目が地味なほうが奥が深い、ということもある。

私には今年の演目は難しかった…。
しかし途中、ついたての中で男女二人のダンサーが踊るシーン、あのシーンには思わず目が釘付けになってしまった。何故かと言うと、自分の子供がしゃべるようになる前、2、3歳頃のしぐさ、それを思い出したからだ。
子持ちのオバサンならではの受け取り方でレニ・バッソには申し訳ないが、まだしゃべれない子供が手を振り足を踏みつけ、顔をゆがめたりまた大きく口を開けて笑ったり、のけぞったりうずくまったりして何かを伝えようとするあのしぐさ…そっくりどころではない、まさにあの時の息子、娘その姿を見たように思った。

翌日、今年は時間のとれた兼古くんとお昼ご飯を食べながら、
「子供ってさあ、まだしゃべれない時ってあんな感じで何か言おうとするんだよねぇ。本当にあんな感じで」と話していたら
「あれ、台本では会話のシーン、てなってるんですよ。」
ううむ、なるほど。
私はついたての中で踊る二人を見て、実は泣いていたのだった。
あの時私は子供たちの、全身全霊の「話」をはたして聞き、そして理解しようとしていたのだろうか…。

後悔先に立たず。普段アート・シーンとはかけ離れた生活をしている私は、レニ・バッソの舞台を観て、一人昔の感傷に浸っていたのであった。


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飯山は、雪にうずもれています。

飯山の雪囲い
2003年の飯山の叔父の家の雪囲い

今年の豪雪で、災害救助法が適用され、飯山市に自衛隊が派遣された。
本家である北町に住む叔母と、飯山小学校近くの福寿町の叔父に、お見舞いの電話をかける。
お見舞いと言っても何を言ったらよいのかわからない。屋根の雪は下ろさないとどうしようもないし、年をとっていても人手がなければやらなければならない。
叔父のところは親戚が来てくれて、雪下ろしをしてくれると言った。玄関やそのほかは叔父は自分でやっている。去年大病をしてまだそんなに時間も経っていないのに、80歳を超えた叔父は今年も雪かきをしている。
北町のほうはいとこが夫婦で雪下ろしをしているそうだ。たまたま隣が空き地で近所の雪捨て場になっているのだが、今は棄てられた雪が2階の屋根よりも高く積み重なり、限界のようだ。
「雪を棄てるところもいっぱいなんだよ。」と電話に出てくれた従兄の細君・Kちゃんが言う。
今年の飯山からの年賀状には、
「この大雪の飯山から逃げ出したいです(90歳近い叔母から)」
「飯山は、雪にうずもれています(一番若い叔母から)」と書いてあった。

飯山の雪囲い

福寿町の叔父の家には蔵があり、子供の頃探検気分でここに入るのが好きだった。
叔父は毎年、山の果実やら何やらで、果実酒を作る。蔵の1階の梁には「××年 やまぶどう 11月××日 ×K」と、白いチョークで果実酒を作った日が書かれている。毎年、記しているそうだ。
それらに混じって、その年の春の雪どけの日が書かれている。
「13年 雪消 4/20」あれからしばらく、叔父の家には行っていない。
少しでも早く、飯山の雪が消えますように。
気が早いと思っても、そう祈らずにはいられない。

叔父の蔵


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三九郎

まゆ玉

松本地方では、松飾を集めて燃やすことを「三九郎(さんくろう)」と言う。どんど焼き、と言ったほうがぴんとくる方が多いだろうか。

この集めた松飾を、丸太を組んだやぐらにワラを取り付け、その周りに飾りつけ、火をつけて燃やす。これをこのあたりでは「三九郎」と言う。

今年の松集めは7日の朝。三九郎は子供の行事なので、松集めも子供が行う…はずなのだが、我が町内の子供の数は少なく、ほとんど親がやっている(笑)。この「飾りつけ」も各町会によって色々だが、パターンはあるようだ。

一番大きなだるまはてっぺんにのせ、あとはネックレスのように縄に通してやぐらに巻いたり、二つのやぐらを作る時はその頭から架け橋のように渡したりする。ワラに松を挿してゆき、その周りに色とりどりの正月飾りを挿したり、掛けたりする。御幣のついたしめ飾りもそのままの形にさげる。

もう作ったところで親はヤレヤレで、写真どころではない(笑)ので、なんとなく毎年出来上がりの写真が無い。

ということで、まゆ玉を焼く時にカメラを持参。

まゆ玉

松本地方では、松飾を集めて燃やすことを「三九郎(さんくろう)」と言う。どんど焼き、と言ったほうがぴんとくる方が多いだろうか。

今年一年の無病息災を皆で祈りながら、暖かな焚き火にヤナギの枝をかざす。


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まゆ玉

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松本地方では、松飾を集めて燃やすことを「三九郎(さんくろう)」と言う。どんど焼き、と言ったほうがぴんとくる方が多いだろうか。

この三九郎の火で、米粉で作った団子を焼いて食べる。団子を通すのは、ヤナギの枝だ。

昔はどこの家庭でも米粉をこね、手作りしたのだろう。今も手作り派、購入派、半々くらいかな。

かくいう私は、購入派。一度手作りにチャレンジしてみたが、手間がかかり大量にできる割りに、なんだか硬いし、飽食の世代である我が子は二つ三つ食べて「ごちそうさま」なので、このところ市販品を買っている。

時期になるとどこのスーパーでも売るが、町内の歩いて1分のところにおじいちゃん、おばあちゃんで商っているお餅屋さんがあり、私は毎年、そこで買っている。…やわらかくて、甘すぎず、ほんのり塩気もあってそのまま食べてもおいしい。

直に火であぶると真っ黒になってしまうから、団子のところをアルミホイルでくるんで、三九郎をする田川の川原へ持って行く。

たくさんの枝先に鈴なりにつけてくる人、繭(まゆ)以外の形を作っている人、ものすごく鮮やかなまゆ玉が目を引く人…。皆が持ってくるまゆ玉も色々で、見ていると面白い。


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